2月11日と12日の夕方、あるいは2014年3月13日の夜の話

百貨店のヴァレンタインイベントで働いている。皆様信じられないほど沢山の高級チョコレートを購入していく。具体的な金額を言える訳がないが、それはもう経済の回る音がするような規模である。

このバイトにおいて男性スタッフは少ない。そもそも百貨店における販売員の殆どが女性というのもあるが若い男性は非常に少ない。こんな事もあり販売員のマダム達から可愛がられる事が多い。2/11の仕事を終える直前に「これ、私からのプレゼント」と言って、僕のスーツのポケットの中にチョコレートを押し込んできた。「今年は貰えなさそうだったので、◯◯(くださった人の名前)から頂けて嬉しいです」と返した。帰宅後に調べてみたところ、一粒500円もする高級チョコレートだと分かった。どうりで美味しい訳だ。普段食べるチョコレートがアルフォートバッカスだけの僕でも風味の良さが分かった。4種類のチョコレートはどれも素晴らしい味であった。
今日も今日とて、別の社員さんが「はい、どうぞ。可愛いでしょ?」とクマを模したチョコレートをプレゼントしてくれた。いやはや、こんなに易々とチョコレートを頂いて良いのだろうか。決して安くないチョコレートを僕の為に買ってくださるだなんて。

都心に引っ越すので、何かのタイミングが合えばホワイトデーにお返しをしようかと検討していたところ、ふと昔の出来事を思い出した。僕の母はパンと洋菓子の作り方を教える先生だった。物心ついた頃から、家には常に数種類のパンがあり、それを朝食やら夏休みのおやつに食べていた。時には母の弟子が作った過発酵のパンを食べて「酸っぱくて不味い」とストレートな感想を本人の目の前で言った事もあった。10歳にも満たない子どもに自分の作ったパンを否定されるのは酷な事だったろう。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


そんな母親を持っていたからか分からないが、高校生になった時ふと洋菓子を作ってみたいと思った。そのきっかけが2月14日のヴァレンタイン・デーだった。その年は例年に増して、同級生からチョコを色々と貰っていた。その中で一人のチョコレートがかなり美味しかったので、その旨を翌日に伝えたら「本当に?嬉しい。手作りなんだよ」と言われた。
なるほど、これくらいのクオリティは手作りで実現できるんだ。と思った僕は帰宅後に食卓で母親に「今年のホワイトデーは既製品ではなく、自分の手で作ってみたい」と伝えた。母親は僕の提案を快諾し、一緒に作ることになった。僕の想定では美味しい手作りチョコをくれた子のように明治チョコレートの板チョコを溶かして何だかんだして作るはずだった。
夕食を終えると母はダイニングテーブルの上に置いてあるものを全て退かして、真っ白なマットを敷いた。そして僕の目の前にカセットコンロと水が入った雪平鍋、そしてステンレス製のボウルを置いた。そして冷蔵庫から丸型の茶色いチップを出した。
ん?何かおかしいぞ(お菓子だけに)。

 

皆様はテンパリングという製菓の技法をご存知だろうか。チョコレートの原材料であるカカオは油分が多く、この油分がチョコレートの全体に均一に混ざらないと、ファットブルームと呼ばれる現象が発生してチョコレートの表面に白い膜が浮き出てしまうのだ。それを解消する為に行うのが、チョコレートを湯煎して液体状に戻した上で、カカオバターが均一になるまで延々と混ぜる事をテンパリングと言う。
てっきり僕はシリコン型に板チョコを入れて電子レンジで加熱する程度だと思っていた(そして、その子もその程度だと言っていた)。ところが、頼んだ相手が良くなかった。
まず母親、いや先生が僕にやり方を教えた。いかにして湯の温度を保ったまま丁寧に混ぜる必要があるのかを説き伏せられた。ゴムヘラの使い方も丁寧に教えられた。

なるほど、わからない。とりあえず見様見真似で挑戦してみるが、これが全くと言って良いほど上手くいかない。少し気を抜くと混ぜるスピードが遅くなり、鍋底のチョコを掬い損ねて火が通りすぎてしまった。結局、先生が「まぁ、こんなもんなんじゃない?」と言うまで3時間以上チョコレートを作っていた。失敗して捨てられた「チョコレートとは到底形容しがたいカカオで出来た茶色い何か」を見た時ほど、アフリカの子供達に申し訳なさを感じた事は無かった。

やっとの思いでチョコレートを作り上げた僕は完成したものを恐る恐る口に入れた。疲れすぎて味覚が鈍感になっていたので味の判別がつかなかった。口内に広がるのは疲労感と達成感だけだった。
この経験をしてから、僕はあらゆる形の好意で出された手作りの料理や菓子に対して最大限の敬意を払う事にした。美味いとか不味いとかそういう時限の話ではない。「自分のために貴重な時間を割いてくれたんだ」という努力を味わう事にした。

 

後日談として、僕が作ったチョコレートを食べた同級生が皆一様に驚嘆した(僕からすれば当たり前である)せいで、翌年からお返し目当てのチョコが増えたのはまた別の話である。ヴァレンタインはふるさと納税なのかもしれない。