『有給物語』1日目・出発

頭頂部に熱いシャワーを当てると、その温かさが徐々に全身に広がっていった。身体が外側からじんわりと温められているのがよく分かる。こんな具合に蛇口を捻ると人の温もりを浴びられたら気持ちいいのに。だが仮にそんな便利なサービスが生まれたとしても、また別の欲求が生まれる事だろう。人間は際限のない欲を満たすために生きているのだ。

僕は経済ニュースのポッドキャストを聴きながら全身を清めた。僕のように金融に携わる人間であれば、もしかしたら、1日3回食事を摂る事よりも、毎日風呂に入る事よりも、世界経済がどうなっているかを知る事が大切なのかもしれない。1日くらい食事を抜いたり(ストレスにより食事が喉を通らない場合を含む)、風呂に入らなくたって死ぬ事はない。だが世界経済の先行きを考えずに金融業界で働く事は死を意味する。そういった理由で、仮に休みの日でも必ずニュースを仕入れている。今日は日本から遥か遠く離れた運河でタンカーが座礁した事を伝えてくれた。この時点で海運大手の株は軒並み下がっているし、石油先物の指数も上昇した。復旧に時間がかかれば実体経済に影響が出るだろう。そんな事を思いながら泡に覆われた顔にお湯を流した。
ニュースは株が何だの感染者が何だの一方的に伝えてくるが、結局のところ全てが同じ事を伝えようとしている。「不幸な世界に目を向けろ」と。世界は不幸で覆われていて、お前はそれを知る義務がある、と。お前は日々報道されるような苦境に立たされた事がない「上級国民」だと。メディアに報道されるような境遇にないお前は目の前の仕事に邁進できる贅沢な身分であることに気付け、と。メディアは他人よりはマシな生活をしていると思わせるための道具として一級品の性能を誇っている。

今日に限って言えば、メディアが流す一方的な情報は僕の事を「世の中の大多数が使いたくても使えない有給休暇を平日に連続取得している贅沢野郎」とでも言っているような気がした。

風呂場を出て髪を乾かすと、僕は数あるシャツの中から一番光沢感のある白シャツのアイロンをかけた。
アイロンから吐かれる高温の蒸気と共にシャツに深く入った皺がどんどん伸びていく。高級レストランのテーブルクロスの様に艶やかでピンとした白さが現れた。仕上がったシャツに袖を通す。身に纏ってから数秒感じる冷たさからシャツの意志を感じる。この冷たさこそが身体に何かを身につける事に対する一種の責任なのかもしれない。首元のボタンを留める時には既に肘周りに皺がついていた。だが、それでいいのだ。シャツに自分の記憶が刻まれていく感覚がそこにある。完全無欠の美しさなんてものは存在しない。サモトラケのニケ像に腕と頭部があったら、あそこまでの人気を誇る事はなかっただろう。幼少期に愛知万博で観たミロのヴィーナス像に感じた不思議な魅力とは、つまり欠けた部分を自身の脳内で想像する事により生まれるのだ。

程なくして全ての準備を終えた。昨晩使ったウィスキーグラスを洗い、洗面台周りの掃除をしてから、僕は学生時代から使っている濃紺のリュックに必要と思わしきものを全て詰め込んだ。
クローゼットから出したロングコートを着ると諸々が入ったリュックを背負った。
普段、僕は財布と携帯とイヤホンしか持ち歩いていない。いつでも身軽で手ぶらで何処にでも行きたいからだ。久しぶりにリュックを背負うと入っているもの以上の重さが身体を覆った気がした。見えざる手によって背後を引っ張られている気がする。あと一歩先に行くのを止めようとする抑止力がそこにあった。

慰安室のような冷涼感の漂う殺風景な白い部屋をゆっくりと見回して、それから大きな深呼吸をして玄関を開けた。ドアの隙間から春の息吹が流れ込んできた。