『有給物語』1日目・朝食

玄関のドアを開けると気圧差でコートの襟がバタついた。春の風は暖かくもあるがどこか余所余所しさを感じる。

エレベーター内に表示されている時間は8:00とあったが、手元のスマートウォッチが言うには8:04だった。間違った時間を告げるくらいなら表示されていない方がマシだ。そもそもエレベーターに乗る短時間の間に時計を見る必要があるのだろうか。そんな事を考えていたら、あっという間にロビーに着いた。

駅に続く道を歩いた。いつも通る道を僅か15分遅れて歩くだけで、こんなにも景色が違うのかと思った。毎朝会う学生服の集団も、肩の落ちたジャケットを着た冴えないサラリーマンともすれ違う事はなかった。世界は思う以上にクロックワイズに動いているのだと思った。今日出会った全速力で走る学生も、遠くから聞こえてくる学校のチャイムも、ゆっくりとした動きでストレッチをする老人も、この時間にしか会えない存在なのだ。

程なくして駅に着くと、僕はどこへ行く当てもないのでとりあえず会社の最寄り駅へ向かった。僕が働く会社は昔から金融街として有名な場所にある。そこにある多くが彼らの自社ビルで、かつ、意味もなく外資系コーヒーチェーンが入居している。このチェーン店のロゴでもあるセイレーンは二つの尻尾を持つギリシャ神話の人形だ。彼女の歌声は素晴らしく、聴いたものを魅了し、そして溺れさせる怪物だと聞いたことがある。こんな怪物をロゴにした店が金融機関のオフィスの一階にあるのは素晴らしい皮肉に思えた。耳障りの良い話をして顧客に夢を与え、なけなしの退職金を注ぎ込ませて最後には評価損にする。まさに多くの金融機関がやっている事だった。このコーヒーチェーンはその親和性ゆえに入居しているのだろう。

会社と道を挟んで反対側にある店に入ると、僕は道路に面した席を取った。それから注文に行きサンドウィッチとカフェラテを頼んだ。普段なら絶対にブラックコーヒーしか飲まないが、ここのコーヒーは好きではないので混ぜ物を選んだ。

会計を終えると黒いエプロンを付けている女性がカウンター越しに話しかけてきた。

「今日は暖かいですね」

「えぇ、昼過ぎは20℃近くまで上がると聞きました」

「それは暖かいを超えて暑いかもしれないですね。このあたりでお仕事されているんですか?」

「はい。すぐそこで。」

「そうなんですね。これから出勤ですか?」

僕は一瞬、適当にやり過ごそうかと思ったがそれを考える事すら面倒だったので事実を伝えた。

「いえ、今日は有給なんです」

手際良く飲み物を作る手が、ほんの一瞬だけ、止まった。それからすぐ元の作業ペースに戻った。

「では、何か用があって来られたのですか?」

「特に理由はないんです。ただいつも通りの動きを真似ているだけです。そうしないと落ち着かなくて」

相手はこれ以上僕の話に首を突っ込まない方がいいと感じたのだろう。もう話は続かなかった。店員はプラスティックな笑みを浮かべて僕に商品を渡した。

僕は無言で会釈をして窓際の席に戻った。すると右隣の席にスーツ姿の男がいた。他にも幾らでも席が空いているのに何故か僕の隣の席に座っていた。

僕は何とも言えない居心地の悪さを感じて、自分の座る席よりも若干左にお盆を置いた。それから椅子に座って、ゆっくりとカフェラテに口をつけた。すると右耳から聞き慣れた声が聞こえた。

「やっと有給を取ったと思ったら会社の目の前まで来るなんてどうかしてるよ」

右に振り向くと、そこには上司がいた。

非常に驚いている時はリアクションが薄くなるというが、まさにそんな状況だった。

「伊藤さん。おはようございます。こんな時間にどうなされたんですか」

「野暮用があって午前休を取ったんだ。で、まだ時間があるから会社に荷物だけ置いて、ここでゆっくりしていたんだよ」

伊藤さんはブラックコーヒーを一口飲むと続けた。

「お前、こんなところで何してるんだ?」

「何もしていないですよ。ただ朝食を食べようと思っただけです」

「朝食を食べる為にわざわざ会社近くまで来たのか?随分と変わった趣味だな。おまけにコーヒーじゃなくてカフェラテなんて注文してさ。カフェラテ好きなの?」

「好きでも嫌いでもないですね。ただコーヒーの気分じゃなかっただけです」

「ふーん」


一旦会話が途切れたので注文したサンドウィッチを食べ始めた。マヨネーズの塩味が少しキツい事以外は美味しいものだった。


「有給の使い道は決めたか?」

「いいえ、全く思い浮かばないです。今朝も考えたのですが一向に良い案が浮かびませんでした」

「そっか」

「伊藤さんなら何に使いますか?」

「俺は家族がいるからな。家族サービスに使ったらあっという間に終わっちゃうよ」

一呼吸あってから

「独り身のうちじゃないとやれない事もあるからそれをやるべきだよ」

と言われた。

独り身のうちにやるべき事と言われても何も浮かばなかった。

「伊藤さんは何をしていましたか?」

「俺の事を聞いてどうするんだよ。俺とは全く趣味が合いそうにもないしアドバイスは出来ないよ」

伊藤さんはブラックコーヒーを酒のように煽ると、「お前の事情はよく分からないが、まぁよい休日を過ごしてくれ」と言って席を離れてしまった。


一人残された僕は野菜の水分でふやけたサンドイッチを食べながら窓の外を眺めた。道の反対側で同期が早足で駆けて行くのが見えた。一度寝坊をして上司に怒られてからは反省したかと思ったが、彼は相変わらず遅刻ギリギリの社会人生活をしているのがよく分かった。食事を終える頃にはカフェラテのフォームミルクはすっかり溶けて消えていた。

「今日から先輩だな」と専務に言われたから四月一日は社会人記念日

社会人2年目になったので、社会人1年目の振り返りをする。

以下は箇条書きのメモをそのまま載せただけになる。

 

興味で近づくと酷い目に遭う。

 

仕事は楽しい。親友に「お前は仕事の話をしている時が一番目を輝かせている」と言われて何とも言えない気持ちになった。
全体の大きささえ分からない真っ白なジグソーパズルの外枠を嵌めていくような感覚。
最近になって、ようやく外枠が揃った。
正直、ここまで仕事が楽しいものだとは思わなかった。自分がのびのびと業務に従事できるようになる為にも、諸々の資格や研修を完璧にこなしていく必要があると考えた。その為には(正直全く乗り気ではないが)大学院での修士取得も考えなければならない。

 

僕は恵まれた環境で働いている
残業代も全額出るし、ボーナスも出る
上司はみな優しく接してくれる

 

仕事を優先するが故に身体のメンテナンスを怠ることが多かった。長時間座りっぱなしの仕事で姿勢が良くない。足を組む。それが原因と思わしき腰痛。治るのに2ヶ月以上かかった。

 

東京の公園巡りは想像を遥かに超える楽しさだった。半年訪れた公園は大小問わず120箇所を超えた。街の豊かさや治安状態が反映された公園作りがわかる。東京に人口集中していると聞くが、本当にそうなのだろうかと疑いたくなることが多かった。公園で子供が親とはしゃいでいるのを見ると、東京は血が通った共同体なのだと再認識できる。

 

何をするにも自己責任の日々

 

雇用されるとはその時間の僕の身体を資本家に貸す行為であり、そのレンタル代として給料が払われている。それ故に何があろうと労働中に私情を挟んではならない。仕事でミスをしたとしても落ち込んでいる暇などない。その時できる最適解を常に考える必要がある。慣れ親しんだやり方や伝統を守ることよりも労働効率を向上させる事の方が何倍も大切だ。効率は正義。パソコンは効率と正確性を上げる道具。単にパソコンを使うだけでは意味がない。それを使って人が手動で行う行為を一つ一つ全てに対して疑いの眼差しを向けて効率化を図る。

 

自分に必要な三大欲求の量と質を正しく把握する努力。たとえば睡眠であれば毎日決まった時間に寝て決まった時間に起きる事が欠かせないし、それは例え土日であっても続けるべきだ。なぜなら睡眠のサイクルは簡単に崩れるから。
食事に関しても、基礎代謝と消費エネルギーを意識して日々の摂取エネルギーをコントロールする必要がある。在宅勤務だと身体を動かす機会が激減するので業後にランニングやウォーキングをして無理やりエネルギーを消費する必要があるのがやや面倒な点でもある。睡眠欲、食欲に倣い性欲も同じ事が言える。

 

名著『思考の生理学』で言及されているとおり、プライベートで同業でない人と接する時間が大切に思える。お互いの知識を更新できる関係性は脳に刺激を与えてくれる。

『有給物語』1日目・出発

頭頂部に熱いシャワーを当てると、その温かさが徐々に全身に広がっていった。身体が外側からじんわりと温められているのがよく分かる。こんな具合に蛇口を捻ると人の温もりを浴びられたら気持ちいいのに。だが仮にそんな便利なサービスが生まれたとしても、また別の欲求が生まれる事だろう。人間は際限のない欲を満たすために生きているのだ。

僕は経済ニュースのポッドキャストを聴きながら全身を清めた。僕のように金融に携わる人間であれば、もしかしたら、1日3回食事を摂る事よりも、毎日風呂に入る事よりも、世界経済がどうなっているかを知る事が大切なのかもしれない。1日くらい食事を抜いたり(ストレスにより食事が喉を通らない場合を含む)、風呂に入らなくたって死ぬ事はない。だが世界経済の先行きを考えずに金融業界で働く事は死を意味する。そういった理由で、仮に休みの日でも必ずニュースを仕入れている。今日は日本から遥か遠く離れた運河でタンカーが座礁した事を伝えてくれた。この時点で海運大手の株は軒並み下がっているし、石油先物の指数も上昇した。復旧に時間がかかれば実体経済に影響が出るだろう。そんな事を思いながら泡に覆われた顔にお湯を流した。
ニュースは株が何だの感染者が何だの一方的に伝えてくるが、結局のところ全てが同じ事を伝えようとしている。「不幸な世界に目を向けろ」と。世界は不幸で覆われていて、お前はそれを知る義務がある、と。お前は日々報道されるような苦境に立たされた事がない「上級国民」だと。メディアに報道されるような境遇にないお前は目の前の仕事に邁進できる贅沢な身分であることに気付け、と。メディアは他人よりはマシな生活をしていると思わせるための道具として一級品の性能を誇っている。

今日に限って言えば、メディアが流す一方的な情報は僕の事を「世の中の大多数が使いたくても使えない有給休暇を平日に連続取得している贅沢野郎」とでも言っているような気がした。

風呂場を出て髪を乾かすと、僕は数あるシャツの中から一番光沢感のある白シャツのアイロンをかけた。
アイロンから吐かれる高温の蒸気と共にシャツに深く入った皺がどんどん伸びていく。高級レストランのテーブルクロスの様に艶やかでピンとした白さが現れた。仕上がったシャツに袖を通す。身に纏ってから数秒感じる冷たさからシャツの意志を感じる。この冷たさこそが身体に何かを身につける事に対する一種の責任なのかもしれない。首元のボタンを留める時には既に肘周りに皺がついていた。だが、それでいいのだ。シャツに自分の記憶が刻まれていく感覚がそこにある。完全無欠の美しさなんてものは存在しない。サモトラケのニケ像に腕と頭部があったら、あそこまでの人気を誇る事はなかっただろう。幼少期に愛知万博で観たミロのヴィーナス像に感じた不思議な魅力とは、つまり欠けた部分を自身の脳内で想像する事により生まれるのだ。

程なくして全ての準備を終えた。昨晩使ったウィスキーグラスを洗い、洗面台周りの掃除をしてから、僕は学生時代から使っている濃紺のリュックに必要と思わしきものを全て詰め込んだ。
クローゼットから出したロングコートを着ると諸々が入ったリュックを背負った。
普段、僕は財布と携帯とイヤホンしか持ち歩いていない。いつでも身軽で手ぶらで何処にでも行きたいからだ。久しぶりにリュックを背負うと入っているもの以上の重さが身体を覆った気がした。見えざる手によって背後を引っ張られている気がする。あと一歩先に行くのを止めようとする抑止力がそこにあった。

慰安室のような冷涼感の漂う殺風景な白い部屋をゆっくりと見回して、それから大きな深呼吸をして玄関を開けた。ドアの隙間から春の息吹が流れ込んできた。

『有給物語』前日,1日目・起床

「休暇ですか」

「そう。休暇を取れ。別にお前が何か悪いことをしたから謹慎処分を下すとか、そういった類の話ではい。法律で定められた最低限の有給を取れと言っているだけなんだ」

いつも僕と話す時に柔らかな表情をしている上司が珍しく緊張した面持ちで僕を見つめた。

「あと1ヶ月で4日休んでほしい」

「厳しいことを言いますね」

「お前が仕事熱心で休むくらいなら仕事を覚えたいという気持ちは十分に伝わる。でも、お前が休まないと俺が部長に怒られる。部長は本部長に怒られる。本部長は専務に怒られて、専務は社長に怒られる。そして最後は会社が国に怒られるんだ」

上司は音程を変えずに早口で言い放った。

これ以上の反抗をしても意味がないので、嫌がるのはこれくらいにすると決めた。

「分かりました。では休暇を申請します」

その言葉を聞くや否や、上司はいつもの調子に戻った。

「うん、それでいい。じゃあ申請は適当に通しておくよ」

上司は机の上にあるメモ帳の一行をボールペンで塗り潰した。


どうやら僕は本当に有給を取ることになるらしい。初めて有給を使ったのは親元に戻る時だった。僕は有給を使ってまで親元に行くのに乗り気ではなかったが、両親と同年代の人事部の男性が取得を強く勧めてきたので使うことにした。

こんな調子なので僕は有給を使ってでも平日にどこかへ行きたいと思う事はない。

「いざ休みを取ると言いましたが、こんなご時世ですし一体何をして過ごそうか悩みます」

「俺としては休んでくれれば良いから、ハメを外してコロナを社内に持ち込まなきゃ何してもいいよ」

「まぁ、そう言うと思っていました」

「せっかく平日の昼間に外に出られるんだからさ、外の空気でも吸って気分転換してきなよよ」


有給休暇1日目の朝は早朝に目が覚めた。

窓の外の明るさから6時前である事は直ぐに分かった。僕は布団から抜け出すと湯沸かし器でコップ一杯の白湯を作った。マグカップに白湯を入れると布団に戻った。窓の外が白んでいくのを眺めながら白湯を啜った。僕はこの時間が好きだ。大通りに面したマンションだが、この時間はまだ交通量はそこまで多くない。朝特有の静けさをBGMにして、生活感のない部屋でぼうっと過ごす。たった5分程度の出来事だが、これをすると頭がしっかりと整理される気がする。一種のメディテーションなのかもしれない。

白湯を半分くらい飲んだところで6時になった。iPhoneが人間の睡眠を優しく遮るようなBGMを流し始めたので早々に止めた。そのついでに今日のスケジュールを見たら「有給休暇(1日目)」と書いてあった。僕はその瞬間に今日が休みである事を思い出した。眠気はどこかへ飛んでいってしまったので、とりあえずシャワーを浴びて身支度することにした。


シャワーを浴びてる時、4日間の使い方を真剣に考えたが一向に良いアイデアは浮かばなかった。いや、正確にはアイデアを浮かばせる事を最初から放棄していた。生産的に日々を過ごさなければならないという強迫観念のもと日々の行動を選択している僕にとって土日祝以外の休みは必要ない。だから有給休暇なんていうイレギュラーに対応していないのだ。

僕の人生の目標

二度目の五輪が開会する筈だった日の東京は土砂降りだった。こんな天気では、開催なんてどの道無理だったのかもしれない。そう言わんばかりの激しい雨だった。僕はJR東京駅構内で買ったホットコーヒーを静かに啜りながら丸の内の疎らな人々の往来を眺めていた。
寒い。そして雨音が五月蝿い。遠出には最悪の日だ。
そんなことを思っていると、わナンバーの白色の軽自動車が目の前の車道に止まった。
「久しぶり」
「久しぶり」
鸚鵡返しのような簡略な挨拶を済ませると、彼はナビの指示に従って車を走らせた。
首都高速道路霞ヶ関料金所。
思い返すと首都高に乗ったのは数年ぶりの事だった。前回は高校時代の元親友に運転してもらってドライブした。真夜中のレインボーブリッジをSuchmosのSTAYTUNEを聴きながら渡ったのは良い思い出だ。
その時のドライバーとはそれから一度も連絡を取っていない。気がついたら彼は大学を辞め、東京から引っ越し、いま何処にいるのかは分からずにいる。

相変わらず雨は強かった。プチプチと音を立てて窓に打ちつけられる雨粒を眺めながら、運転手の彼と互いの近況を話し合った。軽い渋滞に巻き込まれたものの3時間半程度で目的地に着いた。そこは御殿場にある日本最大のアウトレットモールだった。首都圏に住んでいる人をターゲットとした時に適度に田舎な空間に超大型の商業施設を設けるのは素晴らしい戦略だ。
渋滞がなければ高速道路で2時間もかからない距離の空間に、顕示的消費の為に産まれたモノが所狭しと陳列されている。東京から訪れた人にとって往復4時間もかけて行った先で何も買わずに帰るのは「損」なわけである。つまり彼らはは来訪時点で何かを買って帰る客になる可能性が極めて高いのだ。
ところで僕が思うに、彼らがアウトレットモールで行う消費活動というのは非常に矛盾したものである。
アウトレットモールとは名の知れたブランドの商品を購入する空間だ。そして購入するだけではなく、そこには「安く」という重要な要素が加わる。端的に言えば「ブランド品を安く買う」という至上命題が、この空間を覆うイデオロギーと言える。


少し話が逸れるが、「ブランド品」の「ブランド」とはどういう意味かご存知だろうか。brandとは烙印を押すという原義がある。企業名や具体的な絵図が商品に刻印される事で、はじめて我々はその商品のアイデンティティを認知する。「あぁ、これはナイキの靴なんだな。」「これはルイ・ヴィトンのバッグなんだな」と。そしてこの認知は商品を購入した人に限らず、それを身につけている人に対しても新たな認知を与える。「この人はルイ・ヴィトンのバッグを持っているんだな」といった具合だ。前述のようなバッグを持っている人に対して抱く感情はどんなものだろうか。おそらく最も一般的な感情は「あぁ、この人は金持ちなんだな」だろう。ブランド品を持っている、つまり金持ちなんだ、と。

ここまで書けば僕が何を言いたいのかは十分に理解できるのではないだろうか。
ブランド品は各自の「高級な、洗練された」という記号によってそのブランド性というのが担保されているのにも関わらず、自らアウトレットモールという空間で嬉々として安売りしているのだ。
この矛盾を作ったのは他の誰でもない我々(僕は含まれないと言いたいが、それは不可能だろう)消費者なのだ。
言い換えればマスコミが喧伝するブランド品(各種メディアへの広告出稿費用が商品の価格を嵩上げするという愚かな循環)を1円でも安く買いたいという大衆がいるから成り立つ商売と表現できる。


日本人のブランド志向については議論が尽くされたと言っても過言ではない。バブル以後の人々を覆う喪失感を満たす為に顕示的消費が延々と続いている。本来、先進国というのは自らブランドを作り、それを発展途上国に対して売る事で更に資本を拡大させるはずなのだ。先進国になったはずの日本ではいつまで経っても舶来品信仰が収まる気配はない。
後期資本主義( late-capitalism )時代の先進国において全てのモノは道具的価値が失われ、モノが纏う記号性によって消費されると説いたのはボードリヤールだった。どうやらこの説は真実のように見える。

身に付けるモノがクラス(社会階級)を表すというのはヨーロッパで顕著である。日本にはそこまで(表面上)階級差というものはないが、それは幸か不幸か顕示的消費による愚かな消費合戦として現れたのだ。
黒塗りのベンツに乗って、腕にロレックスを嵌めていれば、それが実際はリボルビング払いを続ける多重債務者であろうが「経済的成功者」であると他人の目に映る。

 

そんな事を思いながらアウトレットモールの中を歩いていると物欲なんて消え去ってしまった。帰りの車内、連続する長いトンネルを潜りながら僕という存在の意義を考えていた。
僕が毎日8時間働く意味はなんだろう。資本主義の終焉をこの眼で見届ける事以外に仕事のモチベーションなんて無い。ただ単純な話で、資本主義が空回りして車軸が折れるには、僕に対して支払われる給料も必要なのだ。僕の月20万円程度の給料もGDPの一部になっているのだ。その数字を大きくする事が資本主義の寿命を少しでも短くする方法だと信じてやまない今は、これしか方法がないのだ。

 

だから、僕は働く。心臓の鼓動が止まるその日まで。この世が終わるその日まで。

7月9日の夜

「あなたって美味しい水出し珈琲みたいな人ですね」
御手洗から戻ってくると、彼女は窓の外を眺めながら呟いた。
「アイスコーヒーでは無いの。水出し特有の一口目の冷涼感。飲み進めていくと温められて本来の味が滲み出てくる。」
初対面の人にこんな事を言われるなんて想像も出来ず、不器用な作り笑いをしてしまった。
「それはどうも。そんな風に僕を形容する人は初めてですよ。しかも初対面で。」
彼女はホイップだけが残ってしまったウィンナーコーヒーをスプーンで掬いながら続けた。
「私って人を見る目だけはあるの。審美眼。」
「その審美眼をして、僕は魅力的なんですか?」
「そうね、歴代で4番目に魅力的です。」
4。僕は昔から4という数字に縁がある事を思い出した。
高校時代に出場した競技大会では全国4位だった。決勝戦まで進んだが、それ以上の順位は狙えなかった。
「野暮な質問かもしれないですが、まだ出会って3時間も経っていない僕があなたにとって歴代4位だと思う理由を聞いてもいいですか」
「そんな事を聞いてどうするんですか」
予想通りの返答が来た。
「こう見えて僕は向上心が強いんです。だからより魅力的になる為に何をすべきなのか考えたくて」
すると彼女間髪入れずにこう言った
「それは間接的に敵に塩を送ることになるので遠慮しておきます」
「一体だれが敵だって言うんですか」
「あなたと関係のある他人全員です。あなたがより魅力的になれば、今にまして交友関係が広く深くなる。その時に私の優先順位が下がる可能性が高くなるかもしれない。だから言いません」
早口で捲し上げられた。
「そもそも、」
「自分の魅力に気がつけないような人が、私の中でより魅力的になれる訳がないでしょう」

返答が浮かばなかった。

僕は飲みかけの水出しコーヒーをガラガラと混ぜてから少し大袈裟に飲み干した。

「つまり、あなたは僕との関係を続けたいという事ですね」
「そうですね。諸々を考えると私はあなたと定期的に連絡を取り続けたいですね」

彼女は手首に視線を落とすと、財布から小銭を出した。
「今日は楽しかったです。また気が向いたら会いましょう」
「こちらこそ。体調には気をつけてください」

「では」
「さようなら」

5月9日の夕方、2作目の産声を聴きながら

外出自粛と言われてから何週間が過ぎただろうか。
あっという間に「命を守るStay Home週間」をも超えてしまった。会社からは5月末までは自宅研修という形が取られると言われた。念願叶って社会人になったのに、この調子では先が思いやられる。平日は業務という名の勉強時間が与えられているので一日の多くを資格勉強に費やしている。すると、あっという間に時間は過ぎて終業時刻に。

問題はここからだ。何をしようか。夕食は何を作ろうか、など考える必要がある。百合子の言いつけを守るならば、スーパーへの買い物も3日に1度程度に抑えなければならないようだが、基本的にそのとき食べたいものを食べたい性分なので結局毎日スーパーに行っている気がする。
さて、夕食も終えてそろそろやることもない。そんな事を思っていた矢先に、友人が自分で作詞作曲しているという話を聞いた。これがなかなかの出来具合で、こんな事が出来たらさぞ楽しいのだろうと思った。誰に言われたのか思い出せないが、僕が尊敬している人に「人生を豊かにしたいのであれば消費する趣味ではなく、生み出す趣味をしなさい」と言われたのを思い出した。僕はその時に既に写真を長年(と言っても10年程度)趣味としていたので、これは余程の事で嫌いにならない限りは続けようと思った。ところがこの趣味としての写真の問題点といえば、外に出ることを前提としているのだ。僕は何も知らない街に繰り出してはフラフラと歩きながら写真を撮るのが好きだ。しかし、この自粛時にそのような「軽率な」行為をすることは「社会通念上」許される行為ではないだろう。法律に基づいて処罰されるならまだしも、善人面した市民に私刑を下されるのは勘弁なので仕方なく家で過ごしている。家にいてやれる趣味なんて、本当に少ない。ましてや、生み出す趣味なんて何があるだろうか。そんな事を何周したかわからないアクションゲームで遊びながら考えていた。

そうだ、詩を書こう。そして、それを友人に渡して曲に仕上げてもらおう。僕は楽器が弾けないが、(歌)詞なら書ける筈だ。そう思って休日の夜中に突然A3の紙を広げて書き始めた。一時間くらいだろうか。詩の世界を物語にし、その要素を抽出、最後に抽象化というプロセスを経て歌詞が完成した。僅か1時間だったが、心の充実感は極めて高かった。これは続けたら面白いかもしれない。

数日後、例の友人の家で音源を収録することになった。カラオケさえロクに行かないズブの素人が歌っていいのか、という気もしたが折角の機会なので歌わせてもらうことにした。2時間くらいかかったと思うが無事に収録を終え、あとは彼のマスターアップを待つことにした。彼の家の最寄り駅に着き、僕以外の誰も乗せない電車に揺られていたところ、次の曲は主人公を女性にしようと思った。僕はひどく揺れる地下鉄の中でリュックから例のA3の紙を取り出し独りで万年筆を走らせた。結果、帰宅後すぐに詩が完成した。完成してから思ったが、そんなつもりはないのに官能的な歌詞になってしまった。いま僕は先ほどとは別の友人に作曲を頼み、そのプロセスを電話越しに聴きながら記事を書いている。普通であれば見られるはずもない曲の生まれる瞬間に立ち会えるなんて、なんて素晴らしい時間を過ごしているのだろうか。
僕はおそらく飽き性なのでいつまでに幾つの詩を書くかは分からないが、一先ず外出自粛期間に家で楽しく過ごす方法を1つ発見する事ができた。