2019年 回想

今年も残すところ1週間くらいしかない。

過去は振り返らない性格であるが、一年に一度くらいはしても良いのではないかと思い記事を書いている。


今年あった大きなイベントといえば、やはり就職活動だろう。結果的に第一志望の企業から内定が頂けたのは僕の完璧な作戦勝ち…などと言いたいところではあるが、残念ながらそんなものではない。あくまで僕は選ばれる側の人間であり選ぶ側ではないのだ。もちろん、選ぶ側になれるようなフィールドで就活をしたというのはあるが、それでも経営陣(僕を選ぶか否かを決める方々)は東大やら官僚出身の圧倒的な知識層なのである。最終面接後に社長が人事に対して「彼を獲らずして誰を獲るんだ」と語気を強めたと聞いたときは僕を代替可能な道具として見做さず、僕を僕として見てくれているように感じて、久しぶりに人間的に嬉しくなった。正確には代替可能性の低い存在に過ぎないが。


次に書くべき事と言えば、バイトに関してであろう。3年ほど続けている教育系バイトで大役を務めている。もはやバイトにやらせる内容ではないレベルである。一時的に生徒の未来を預かっているとも言える。常に結果が求められる社会に一足早く突っ込まれたのだ。部下、生徒、上司、顧客など利害関係者が多い中で常に最善を尽くすのは決して楽ではない。その一方で沢山の人々を見る事で人間の相性を見る眼が磨かれたと思う。この力を身につけられたのは、社会人になってから誰に師事するかを適切に選ぶ事を可能にする点で大きな収穫と言える。

僕がバイトとして教育に拘ったのは、大学生活を経て教育の尊さを知ったからだ。だからこそ僕は生徒を「生徒」として見做さず「その人そのもの」として接していた。故に画一的な教え方は絶対にしなかったし、「これはそういうものだから暗記しろ」なんて事も言わないように努力してきた。そして頭が良い子(≠勉強ができる子)には「大学生になったら、一度で良いから僕たちのような仕事をしてみて欲しい」と伝えてきた。柄でも無いように見えるかもしれないが、僕は現代日本の知識貧困層・教養貧困層が再生産され続けている現状を憂慮している。その歯止めをかけるのが公教育の役割だが、残念ながら効果は期待出来ない。そうなると僕自身から草の根的に始めていくしかないと思う。頭の良い子には各々に適切な教育方法を通して学力を蓄えて、謂わゆる「良い学校」に行って欲しい。教えられ方次第で(幾らでも)成長出来ることを実感した上で社会に出て欲しいと強く願うのだ。僕が接してきた子たちの中で1人でも教育系のバイトをやってくれたとすればそれは至上の喜びだ。


次はイベント、というより人間関係についてだ。今年は夏以降、精神状態が酷く不安定だった。原因は諸々あるがそれを一つ一つ書き出したら再び不安定になりそうなので省く。

とにかくそんな状態だったので、僕は周りの数人を酷く傷つけてしまった。本当に申し訳ない気持ちでいる。謝って済む話でないのは分かっているが、とにかくこんな事を二度と起こしてはいけないと強く決心した。自分の中で上手なガス抜き(ストレス発散)方法を考え、実践していく必要がある。

そして、どんな相手に対してもリスペクトを持って接しなければいけない。自分と利害関係がない相手にも最低限の礼節を弁えた態度で接さなければならない。そう思った。


あと、今年の出来事で大きかった事といえば一緒にピューロランドへ行った人との出会いであろう。彼とピューロランドへ行ってからというもの、プライベート時間の多くを彼と過ごした。詳しく書くのは伏せるが、とにかく彼は本当に興味深い人間で、これから先も定期的に連絡を取りたいと思う人だという事だ。そして、おそらく彼のような人を友人と呼べるのだと思う(相手がどう思っているかは知らないが)。


ざっくりと一年を振り返った。

来年の4月以降は毎日代わり映えのない生活が待っているのかもしれない。それでも僕は早く社会に出たい。もっと責任を持って生活する代わりに自由を得たい。働いて稼いだお金を使う楽しさを今以上に体験したい。


そのためにも年明けから始まる卒業を賭けた期末試験への勉強に取りかからなければならないのであった…