[未完]Instagramという名のパノプティコン

〈これは昨年の十月に書き始めて完成していないものである。これから加筆修正する可能性もある。〉

 

ここ数ヶ月にわたり、収入が増えている。そして、とある理由により、更に収入が増えようとしている。これ以上働いても仕方ないと思うのだが、その一方で労働に従事しているとプライベートの悩みを一時的にでも忘れられる事に気が付いてしまった。つまり、現時点で最も合理的な方法としての「労働を増やす」という選択に至ったのだ。何と愚かな事だろうと思いながら。

当ブログの読者であれば、パノプティコンという言葉を聞いた事があるのではないだろうか。
その昔に考案された監獄の形態である。
ドーナツ状に独房が配置され、中心に管理棟がある。


・インスタグラムの言葉の原義
Instant Telegram

 

・「インスタグラムに投稿できるような交際をしたい」という趣旨の発言を聞いた。

交際している内容をSNSに載せるという事が、自分たちの生活の一部を監視されている認識はあるのだろうか。あったとすれば自分から望んで相互監視の一役を担う意味はどこにあるのか。メリットは何か。参加者はTLに流れてくる写真に思考停止して❤️を送らなければならない。仮に別れたら写真は消すだろうし(少なくとも私は、別の交際相手と付き合っているにもかかわらず昔の交際相手との写真がアップされたままのアカウントを見たことがない)、それを含めてフォロワーが知る事になる。別れた事まで認識させるメリットは何だろうか。アカウントを見ている相手に対して「現在、{僕は/私は}交際相手がいません」という事をnotice(=通知)し、その先へ繋げようとでもしているのだろうか。→せめてもの相互監視社会のメリットを享受しようとしている?

 

・そもそもインスタグラムに交際相手との写真を顔が映らずともアップする事の意義とは→「自分が幸せ」という自己の内部から湧き上がる感情を外部による評価に委ねている。他人から評価されなかったら幸せではないのか?労働ならば相対評価をされても仕方ないが、自身の恋愛事まで他人から評価されないと済まないというのはどういう事なのか。人間が人間たる存在であり続ける為には、尊大で放漫な感情を必要としているはずである。

 

・自分の彼氏・彼女が「カッコいい/イケメン/綺麗/可愛い」でなければならない。もしくはそれを間接的に要請している→ルッキズムに繋がっている。「映え」無い奴は無価値?

 

・自分以上の自分を見せようとしている→The Viruse of Self-esteem.