新海誠の限界点/『天気の子』の感想

f:id:Joy_jp:20190819224151j:image

以下の『天気の子』の感想は、Filmarksの私が持つアカウントで既にアップされたレビューとほぼ同じものであるが、決して盗作ではなく、私が書いたものであると説明しておく。念のため。なお、批評が若干の口語調で書かれている理由は私の友人にLINEで映画の感想を聞かれて、それに答えたためである。ネタバレを多分に含むので観ていない方は要注意。

 

------

私は本作の主題は「思春期の男女が大人の世界を拒否し、自立していく過程を描いた」のと「高度に発展した社会(=東京)というものの在り方を再考させる」事だと思います。

まず天気は「人々(大人)の感情の集合体」、雨は「人々の不平不満やストレス」のメタファーではないかと思います。

主人公が島から家出した理由は、まさに彼が家出した時に持っていた小説『The Catch in the Rye(ライ麦畑でつかまえて)』で表現されていました。
ライ麦畑でつかまえて』では、本作主人公と同じくらいの年齢の男の子が大人が構成する社会に対して強い反抗心を持ってニューヨークを駆け回る話です。(本作でも『ライ麦〜』でも舞台はその国の大都市だし、ラストでは帰宅しているところも似ていますね。)

 

次に、本作の特徴は今までの新海誠作品の中でも際立って東京という空間に拘っているところです。パンフレットによると、監督は「2020年東京オリンピックをきっかけにして良くも悪くも様々な事が変わっていく。その前に現在の東京を描きたかった。」との事です。
実際に、天空の空間を除き、全シーンが東京でしたね。

 

本作ではヒロインに異形の能力(=天気を操る)さえも新宿?代々木?付近の廃ビルの上に佇む神社で与えられました。
前回の作品のように岐阜の山奥の社ではなく、あくまで都会というのは面白かったです。
また、「なぜビルの上なんかに社があるのか」と考えてみると、これは都心が再開発される前から、もともとあの場所に神社があった事が分かります。
この表現から見ても新海誠は東京という土地が本来持っていた役割などを表現したかったのではないかと思います(主題2つ目の部分)。

映画のラストで事件から3年が経った後の東京で生きる人たちの顔がみんな明るかったのは印象的でした。つまり、人々の不平不満やストレス=雨なんて関係なく自分たちの生活をしているのです。
また立花宅へ行った時にお婆さんが「ここは200年前は海だった。元の形に戻っただけさ」と言っていたのは、まさに高度に発展した東京というものを否定したのだと思います。


前作『君の名は、』で商業的に大成功を収めた新海誠らは再び「青春・恋愛・東京」という三拍子で本作に臨みました。

これが成功と言えるか否かは、興行収入で測らざるを得ません。何故ならばカンヌ国際映画祭に出品するような芸術性の高い作品ではなく、あくまで前作の雰囲気を踏襲するあたりを含めて大衆娯楽作品だからです。
興行収入で成功する≠良い作品ですからね。

 

本作に関して言えば、公式HPのあらすじを読み、冒頭30分も観れば、その後の展開がどうなるのかは容易に想像できる単調な展開でした。その点で真新しさはなく、『君の名は、』のコピーと言えます。そもそも『君の名は、』がヒットした理由を考えてみると、色んな理由が挙げられますが、個人的に最も関係のあるのは「普段アニメを観ない層がタイムリープや平行世界というシナリオ上のトリック(技術)に真新しさを感じた事」だと思います。
では、本作がどうかと言うと、そういった真新しさはありません。この点は残念、というより新海誠の都会青春恋愛ファンタジーの限界点であると思います。
また、監督が「ここで感動してほしい!」、「泣かせたい!」という点を指定しているように感じました。それはまさしく数々のRADWIMPSの曲が突然流れ出すシーンです。

人を感動させるのに歌詞付きの音楽に頼っていては所詮大衆作品です(本人はそれで良いと思っているかもしれませんが)。

-了-