大学生の恋愛と就活の意外な共通点

 就職活動を始めてみると、毎日があっという間に過ぎて行く。1年後には恐らくどこかしらの会社に所属して、月曜から金曜までの間を働くことになるのだろう。そして毎月20万円近くが銀行に払い込まれ、そこから家賃・光熱費・食費・奨学金の返済などを行わなければならない。手元に残るお金の幾らかは蓄えるとなると、果たして僕は幾らの可処分所得を残せるのだろうか。いわゆる固定費を抑制するには会社の制度を可能な限り使って家賃補助等を貰うことになるだろう。彼女が都心で働いているので同居するというのも安く住む方法として十分に考えられる。

そういえば、つい先日Twitter上で「結婚前提の交際でなければ、その関係性はセフレである」という呟きをした人がいた。つまり交際相手と結婚をしない、もしくは様々な事情で結婚をせずとも長きに渡り共同生活をするつもりが無ければ、その関係性の中に求める行為は性欲の発散=セックスであると主張しているのだ。
非常に鋭い着眼点である。僕は昔から(少なくとも高校生の時から)、前述のような価値観を持って性的対象である女性と接していた。交際をして2年も経つと友人などから「長いね。このまま結婚?」と聞かれることが多々ある。この発言からも分かるように、「日本において大学という社会に属する人間が2年間交際をする」のは体感上長いものなのである。では、周りはどうかと見回すと、そもそも友人と呼べる関係性の人が少ないのだが、やはり1年弱程度で大半が別れているように思う。(注:あくまで個人の感想であり、客観性のあるデータに基づくものでは無い)
ある女性が交際相手との関係性が一定期間以上続かないと話してくれた時に、僕はその原因が何なのか気になり、彼女を構成する価値観を根掘り葉掘り尋ねた。まず驚いたのが「交際相手と初めて会ってから交際するまでの期間が2ヶ月以内」と、とても短い期間であることが分かった。金融志望っぽい用語を使うとすると「天候・気候変動リスク」を一切考慮していない行為である。例えば6〜7月に出会い、夏季休暇が始まる頃に交際を始めたとして、二人が過ごすのは大学生の夏休み=限りなく自由に時間を使うことができて「会いたい時に逢える」環境である。そこで数ヶ月の交際を続けると、あっという間に秋学期が始まる。仮に交際相手が同じ大学であっても、やはり幾らかの生活リズムの違いがある訳で、それが理由で「会いたい時に逢いにくくなる」。交際を始めてから数か月というのはアツアツなので互いが楽しいのだろうが、その期間が終わる段々と冷めてくる。この時に逢えないという要素が加わることで、2人の関係性にcrisis(=危機)が訪れるのである。加えて、新学期になり新たな出会い(授業等)も考慮すべき問題として浮かび上がってくる。こうなると「退団」や「移籍」の可能性は更に高まっていくであろう。こうならないようにするには簡単な話、時間をかけて相手をevaluate(=評価,調査)する必要がある。最低でも半年くらいかけて、学業の繁忙期と閑散期を経験すべきではないだろうか。

次に、彼女は「もはや特定の誰かではなく『恋人』が欲しい」のである。これは所謂「恋に恋する」状態であり、愛し愛されていないと脳味噌がソワソワしてしまう病である。
その一因としてSNSの普及が挙げられるであろう。ここでは自分と仲の良い友人をフォローし、彼らの私生活が垣間見える。大学生のおよそ1/3が交際をしていると仮定すると、フォローしている人間が100人いれば30人は交際している事になる。それをSNS上にひけらかして自己承認欲求を満たそうとする人間に対して、我々閲覧する者が防御する方法は無いのだ。交際相手がおらず、かつ交際を求めている人は毎日のように「幸せそうな投稿」を見ることで、だんだんと彼らのような生活に憧れを抱く事になる。この結果、人によっては彼女のように「交際している=幸せ」となり、その逆として「交際していない=幸せでは無い」が成立してしまうのである。幸せの定義なんて人それぞれであり、比べるようなものでは無いにも関わらず、そしてこれを競うことが愚かであることは心の何処かで気づいているにも関わらず、SNS上では常に競い合われているように見える。

2つ目に関しては就活に似ているところがある。つまり、最初は特定の会社で働きたいと思っているはずなのに、周りから「内定もらった」などと聞くと段々と焦り始めて、気づいたら自分も「内定が欲しい」と言い始めるのである。自戒を込めて、このような事にならないよう励んでいきたい。

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地下鉄の長い通路、果たして先にあるものは。