2019年 回想

今年も残すところ1週間くらいしかない。

過去は振り返らない性格であるが、一年に一度くらいはしても良いのではないかと思い記事を書いている。


今年あった大きなイベントといえば、やはり就職活動だろう。結果的に第一志望の企業から内定が頂けたのは僕の完璧な作戦勝ち…などと言いたいところではあるが、残念ながらそんなものではない。あくまで僕は選ばれる側の人間であり選ぶ側ではないのだ。もちろん、選ぶ側になれるようなフィールドで就活をしたというのはあるが、それでも経営陣(僕を選ぶか否かを決める方々)は東大やら官僚出身の圧倒的な知識層なのである。最終面接後に社長が人事に対して「彼を獲らずして誰を獲るんだ」と語気を強めたと聞いたときは僕を代替可能な道具として見做さず、僕を僕として見てくれているように感じて、久しぶりに人間的に嬉しくなった。正確には代替可能性の低い存在に過ぎないが。


次に書くべき事と言えば、バイトに関してであろう。3年ほど続けている教育系バイトで大役を務めている。もはやバイトにやらせる内容ではないレベルである。一時的に生徒の未来を預かっているとも言える。常に結果が求められる社会に一足早く突っ込まれたのだ。部下、生徒、上司、顧客など利害関係者が多い中で常に最善を尽くすのは決して楽ではない。その一方で沢山の人々を見る事で人間の相性を見る眼が磨かれたと思う。この力を身につけられたのは、社会人になってから誰に師事するかを適切に選ぶ事を可能にする点で大きな収穫と言える。

僕がバイトとして教育に拘ったのは、大学生活を経て教育の尊さを知ったからだ。だからこそ僕は生徒を「生徒」として見做さず「その人そのもの」として接していた。故に画一的な教え方は絶対にしなかったし、「これはそういうものだから暗記しろ」なんて事も言わないように努力してきた。そして頭が良い子(≠勉強ができる子)には「大学生になったら、一度で良いから僕たちのような仕事をしてみて欲しい」と伝えてきた。柄でも無いように見えるかもしれないが、僕は現代日本の知識貧困層・教養貧困層が再生産され続けている現状を憂慮している。その歯止めをかけるのが公教育の役割だが、残念ながら効果は期待出来ない。そうなると僕自身から草の根的に始めていくしかないと思う。頭の良い子には各々に適切な教育方法を通して学力を蓄えて、謂わゆる「良い学校」に行って欲しい。教えられ方次第で(幾らでも)成長出来ることを実感した上で社会に出て欲しいと強く願うのだ。僕が接してきた子たちの中で1人でも教育系のバイトをやってくれたとすればそれは至上の喜びだ。


次はイベント、というより人間関係についてだ。今年は夏以降、精神状態が酷く不安定だった。原因は諸々あるがそれを一つ一つ書き出したら再び不安定になりそうなので省く。

とにかくそんな状態だったので、僕は周りの数人を酷く傷つけてしまった。本当に申し訳ない気持ちでいる。謝って済む話でないのは分かっているが、とにかくこんな事を二度と起こしてはいけないと強く決心した。自分の中で上手なガス抜き(ストレス発散)方法を考え、実践していく必要がある。

そして、どんな相手に対してもリスペクトを持って接しなければいけない。自分と利害関係がない相手にも最低限の礼節を弁えた態度で接さなければならない。そう思った。


あと、今年の出来事で大きかった事といえば一緒にピューロランドへ行った人との出会いであろう。彼とピューロランドへ行ってからというもの、プライベート時間の多くを彼と過ごした。詳しく書くのは伏せるが、とにかく彼は本当に興味深い人間で、これから先も定期的に連絡を取りたいと思う人だという事だ。そして、おそらく彼のような人を友人と呼べるのだと思う(相手がどう思っているかは知らないが)。


ざっくりと一年を振り返った。

来年の4月以降は毎日代わり映えのない生活が待っているのかもしれない。それでも僕は早く社会に出たい。もっと責任を持って生活する代わりに自由を得たい。働いて稼いだお金を使う楽しさを今以上に体験したい。


そのためにも年明けから始まる卒業を賭けた期末試験への勉強に取りかからなければならないのであった…

サンリオ・ピューロランド探訪記 〜白猫のイデオロギー〜

 就活が終わってからというもの、私が日々の娯楽に求めることは「東京に住む私文大学生っぽい」ことをする事である。残された時間は少ない。社会人になったら出来ない、時間的にやれないことをトコトンやろうと決めているのだ。このような事は一般的には意識せずとも出来るような行為であろうが、私には意識的に計画的に行わなければいけない。というより周りの人間が余りにも無計画に様々な事をしているので私の比較対象として適切でない気がする。

ということで先日、東京西部にあるテーマパーク「サンリオ・ピューロランド」に行ってきた。

f:id:Joy_jp:20190922141531j:image

(写真:入り口にて。この写真を男二人で撮っているという光景を想像して欲しい)

 

職場の同僚がたまたま無料招待券を貰ったらしく、ありがたく2枚譲っていただいた。一緒に行った友人の詳細は伏せるが、男性である。そう、我々は「イケてない男性二人でピューロランドに行き、一通りのアトラクションとショーを体験してきた」のだ。同伴者(以下、彼)を「イケてない」と表現したのは、本人がそのような趣旨を発言していたからであって、私の主観ではない事を強調しておく。名誉毀損で訴えられたくない。彼は仮に「イケてない」としても、他人には出来ない様々なスキルがあり、向上心がある立派な人である。私の何倍も努力家だし、そして何より大人である。

サンリオ・ピューロランドとは、皆様御存知のハローキティやポムポムプリンなどのサンリオキャラクターが一堂に会するテーマパークである。舞浜や大阪港にあるテーマパークと同じ性質である。私はこれにて日本三代テーマパーク(注:私が勝手に命名した)に全て訪れた事になる。これはある種の達成感に浸っても良い出来事なのではないだろうか。社会に適合できていないと自覚しながらも、友人と一緒にテーマパークに行くくらいの社交性があることを証明できたのだ。

今回はピューロランドに行った時に感じた複数の疑問や気付きを当ブログで書こうと思う。

 

・来園者の服装の法則

 まず、驚いたのは訪れる若い女性の服装に一定の法則性があるという事だ。
誤解を恐れずに言えば、皆がジャニーズファンのような装いであった。うまく言語化するのは難しいがキーワードとして挙げるのであれば、彼女は「パステル・レース・リボン」がふんだんに用いられた服装を好んでいるように感じた。女の子らしさを十二分に感じられる格好で園内にいた。ここで私は都市伝説と思っていたような出来事を体験した。それは、ぐでたまのアトラクションに行った時の事である。ここでは様々な職業体験をぐでたまと一緒に体験できるというもので、その中に寿司屋のセットがあったのだ。そこに如何にもという格好をした女性ら3人組が居て、熱心に写真を撮り続けていた。カメラのレンズの先には当然被写体であるグループの一員がいるのだが、それにしては余りにも画角が広すぎる(写真を長いことやっているので、それくらいは分かる)。何を撮っているのかと回り込んで見てみると、寿司が提供される皿の上に10センチにも満たない人形のようなものを置いていたのだ。そう、これがアクリルスタンドフィギュアなるものであった。(自分の好きなジャニーズメンバーの全身が印刷されたスタンドを並べて写真を撮る過激派ジャニーズ組織がいる」というのは話には聞いたことがあるが、まさか自身の目で見る日が来るとは思っても見なかった。彼らは我々が後ろで写真の順番を待つのを忘れ、延々と交代に写真を取り続けていた。いや、もしかしたら彼らは夢の中で生きているため僕のような心が汚れた存在を視認することが出来ないのかもしれない。そうすれば私も「視えないならば仕方ない」とも思えるものだ。

f:id:Joy_jp:20190922141937j:image

(写真:アクリルスタンドとの写真に勤しむあまり、我々の存在を視認できていないと思われる来園者)


少し過激な例を挙げたが、とにかくジャニーズが好きそうな人達が多かった。この話を自身の娘を連れて訪れた事のある美容師の方に話したところ、「王子様(、そして対の存在としてのお姫様)というものに憧れる人が多く集まるのではないか」という鋭い意見を伺った。なるほど、アイドルに求めるものが何かは人それぞれであるが、一つの説明付として納得のいくものである。

 

・ジャニーズとサンリオの親和性

 ここで気になるのは、サンリオとジャニーズがもつ親和性とは何なのかである。一つ言えるのは、彼らは共通して夢を売り、そして現実世界とは離れた独自の世界観を提供している。私は双方の作品研究をしたことがないので、彼らの持つイデオロギーが何かを正確に捉える事は難しい。しかし一つの仮説として、思春期を超えてもサンリオの持つある種の「幼さ」というものに惹かれる彼女らには形成された「純粋さ」があり、それが幼少期に触れたであろうサンリオキャラクターの持つ「幼さ」と重ね合わさっているのではないかと考えた。また後述するが、耳に赤いリボンを付けた白猫がショーの際にしきりに「みんな可愛くいようね」と言っているのが気になった。服装が持つ文化的な意味合いを考えると、やはり彼女らは自分たちが可愛くなければならない(つまり、カッコいい/美しいではない)と感じているのだろうか。

 

・訪れる人が求めているものは何か?

 次に疑問として感じたことは、「ピューロランドに訪れる人々は果たして何を求めているのか」だ。この場合の「人々」とは、サンリオの思うターゲット層では無い思春期以降の女性を指す。サンリオが彼らを魅了して止まない秘訣は何なのか。やはり癒しなのだろうか。パステルカラーに覆われた非日常空間に訪れ、自身の好きなキャラクターから次々と与えられる視覚的情報を無抵抗に浴び続けるのは、最早「癒し」というより「快感」に近いものだろう。この楽しさはハマった者にしか分からない素晴らしいものなのだ。
また、単に自己顕示欲を満たしに来ているだけの人々も散見した。園内には何箇所もSNSに載せる事を前提とした「インスタ映えスポット」があった。今の時代は下手なターゲット広告を打つよりも効果があるため、運営側としてもメリットを享受できるのだ。SNSで得られる空虚な自己顕示欲(=The Viruse of Self-esteem )に関しては、また別の機会に記事にしようと思う。

 

・人生において大切にすべき3つの事=かわいい、おもいやり、なかよく

 ピューロに訪れた観客の多くが最も期待をするのは、中央広場で行われるショーを観ることであろう。このショーの詳細はネタバレになり得るので触れないでおく。しかしながら、これから私が書こうとしている内容はサンリオ(キャラクター)の持つイデオローグを明かそうとする行為であり、それが一部の人間を不快にさせる可能性がある事を予め述べておく。
ショーは幸せな雰囲気で始まった。彼らサンリオキャラクターの住む世界には、神話で言うところの世界樹のようなものが存在する。それは園内の中央にある大樹である。この木が彼らの世界に安定をもたらしているようだ。
サンリオキャラクター(ここにキティーらは含まれていない)がこの木の周りを練り歩きながら何やら明るい歌を歌っていた。
ここで増田セバスチャン(注:きゃりーぱみゅぱみゅの衣服やMVの世界観を監修した事が有名なアーティスト)がデザインした極彩色の服を纏ったダンサーが踊りながら、次のような事を言った。「ここには大切な教えが3つある。それは、可愛い、思いやり、仲良く、の3つである」と。これを言い終えて間も無く園内が暗転し、我々は重々しい世界観に包まれた。毒々しいレッドとグリーンのレーザーが園内の至るところを照らした。そして悪役のダンサーが登場して、先ほどの極彩色のダンサーに攻撃していた。悪役が歌う曲が終わると、悪の女王が現れて「光が嫌い」「笑顔が嫌い」「この世界に楽しさは無い」と言わんばかりのセリフを矢継ぎ早に言い放った。

少し話が逸れるが、この時点でショーを観ている幼い子達は置いてきぼりにされていた。ある子はポカーンと悪役のダンサーを観ていたし、ある子は親御さんにしがみついて泣いていた。我々はかなり後方から観ていたのだが、ショーが怖くて退避してきた女の子が僕の隣で涙を流していた。確かに怖いかもしれない。いや、お嬢さんの思う何十倍も怖い内容がこのショーには詰め込まれているのだ。

 

閑話休題
ここで終わったら続編のあるハリウッド映画だが、ここは日本で、東京で、そして何より多摩なのでしっかりとハッピーエンドを迎えるようになっている。ご安心を。
大方の大人の予想通り、ここで真打ち登場と言わんばかりにサンリオの唯一絶対神であるリボンを付けた白猫達の登場である。
ダニエル(キティーの彼氏)が悪役を反撃し、トドメを刺そうとした瞬間、キティーがこれを制止し、「優しさと思いやりの心があれば誰とでも仲良くする事が出来る。私は彼女(悪役の女王)を信じたい」と言った。もうこの時点で反吐が出そうだったが、腕時計を見たらソロソロ終わりそうな雰囲気だったので堪えていた。

ティーは園内にいる来園者の力を集めて、彼女を改心させた。その瞬間、彼女が纏っていた漆黒のドレスが純白に変わった。この間わずか1秒。なかなかな早着替えであった。

こうして改心した女王は他のサンリオキャラクターと一緒に大樹の周りを練り歩きながらグランドフィナーレを迎えた。
そして、最後にもう一度、念を押すように「人生において大切にすべき3つの事=可愛い、思いやり、仲良く」を園内の子供達に伝えてショーは終演した。

このようなショーを一度でなくとも、複数回にわたって観た子供は何を感じるだろうか。白猫型イデオローグが、幼稚園生にでも分かるような言葉を用いて、「あなたは人に対して思いやりを持ち、周囲の人と仲良くしなければならない。そして何よりも可愛くいなくてはならない」と説き伏せるのだ。まだ彼らは批判的思考なんて持ち合わせていない。ただ無批判にイデオローグの言う事を鵜呑みにする以外に術はないのだ。思考的に無抵抗の息子娘を連れてきて、「ほらキティーちゃんが言っているんだから、この3つを守ろうね」と言えるのだ。
神格化された権威を使う事で、自分たちの言う事に信憑性と確実性を与えようとしているのだ。なんて尊大なエゴだろうか。
ここは最早キャラクターテーマパークではなく道徳教育施設になっている。
確かに現代に於いて古典的宗教が求心力を失い、より親近感の湧くものが信仰の対象になっているのは間違いない。また別の記事で述べることになるだろうが、いわゆるアイドルという存在は偶像であり、これを信仰・信奉するのは偶像崇拝と変わらないと考えている。古典的な「神様」「仏様」を子どもたちが信じないのであれば、もっと具体的でアイドル性のある存在に教えを代弁してもらうというのは非常に合理的な選択なのかもしれない。

 

・「かわいい」状態であり続けるべきと説くイデオローグの罪の重さ

 また思春期にも満たない女児に対して「可愛くいなければならない」という思想を植え付ける行為は、後々に彼女らを大きく苦しめる事になるのを気付かないのだろうか。
実際問題として「可愛い方が得をする社会」で生きていく女性達を再生産していく現場が幼少期から始まっていたなんて思うと戦慄する。しかも、こんなパステルカラーの優しさに満ち溢れているように見える世界が発信源になっていただなんで。

 

・自分が家族と一緒にここへ訪れる日が来るのだろうか

 さて、ここまでピューロランドに関して思う事を淡々と述べてきた。そして、ここからは未来に関して少し話そうかと思う。つまり、仮に自分が子供を育てる事になった時に、娘息子から「ピューロランドに行きたい」と言われたら連れて行くか否かである。正直なところ、連れて行きたいとは思わないのは前述の批評から十分に分かるであろう。しかしながら、私は一般的なサラリーマンになる予定なので、子供と一緒に過ごせる時間はせいぜい土日と年末年始くらいだ。その時間を私(やパートナー)(注:パートナーをカッコにしたのは、仮にパートナーがおらずとも特別養子縁組が可能だから)が行きたいところばかりに連れて行くのが彼らにとって楽しい思い出になり得るかは分からない。そうなると、その時に彼らが好きだった事に付き合い、十数年後の自我が確立した辺りで過去を振り返った時に「自分は好きな事をさせてもらったんだ」と思わせた方が良いのではないか、などと打算的な考えもしたくなるものである。
ただ、ここまで思想の強いテーマパークとなると話は変わってくる。極論、キリスト教の神父が息子を仏道体験会に参加させるのかという話である。自分で物事を考える力が身についていればよいが、そうでない段階で行く事により自分の教育方針に綻びが出るような事は避けたいのだ。結論としては、僕と子供たちの状況次第という事だ。

 

・私がブログを書く理由

さて、ここまで述べてきたピューロランド探訪記もこれにて終わりだ。実はこの記事を書き始めてから2週間以上が経っている。理由は、ショーに関して思った事を友人に伝えた時に「(様々な事物をここまで考えているのって)生きてるの辛くないのか?」という辛辣なコメントを貰ったからである。
正直言って辛い。まだ何十年も俗社会に身を置かなければならないと思うだけでゾッとする。そして、自分が時として俗物に成り下がるのではないかと思う。(そしてもしかしたら、もう既に生粋の俗物なのかもしれない。)
この時に僕に出来ることが何かと言えば、今回取り上げたような人畜無害に見える存在が我々に対して如何に影響を及ぼしているのかを解き明かそうとする努力を続ける事である。

これからも私には私にしか出来ない方法でインターネットの大海に記録を残していく。

新海誠の限界点/『天気の子』の感想

f:id:Joy_jp:20190819224151j:image

以下の『天気の子』の感想は、Filmarksの私が持つアカウントで既にアップされたレビューとほぼ同じものであるが、決して盗作ではなく、私が書いたものであると説明しておく。念のため。なお、批評が若干の口語調で書かれている理由は私の友人にLINEで映画の感想を聞かれて、それに答えたためである。ネタバレを多分に含むので観ていない方は要注意。

 

------

私は本作の主題は「思春期の男女が大人の世界を拒否し、自立していく過程を描いた」のと「高度に発展した社会(=東京)というものの在り方を再考させる」事だと思います。

まず天気は「人々(大人)の感情の集合体」、雨は「人々の不平不満やストレス」のメタファーではないかと思います。

主人公が島から家出した理由は、まさに彼が家出した時に持っていた小説『The Catch in the Rye(ライ麦畑でつかまえて)』で表現されていました。
ライ麦畑でつかまえて』では、本作主人公と同じくらいの年齢の男の子が大人が構成する社会に対して強い反抗心を持ってニューヨークを駆け回る話です。(本作でも『ライ麦〜』でも舞台はその国の大都市だし、ラストでは帰宅しているところも似ていますね。)

 

次に、本作の特徴は今までの新海誠作品の中でも際立って東京という空間に拘っているところです。パンフレットによると、監督は「2020年東京オリンピックをきっかけにして良くも悪くも様々な事が変わっていく。その前に現在の東京を描きたかった。」との事です。
実際に、天空の空間を除き、全シーンが東京でしたね。

 

本作ではヒロインに異形の能力(=天気を操る)さえも新宿?代々木?付近の廃ビルの上に佇む神社で与えられました。
前回の作品のように岐阜の山奥の社ではなく、あくまで都会というのは面白かったです。
また、「なぜビルの上なんかに社があるのか」と考えてみると、これは都心が再開発される前から、もともとあの場所に神社があった事が分かります。
この表現から見ても新海誠は東京という土地が本来持っていた役割などを表現したかったのではないかと思います(主題2つ目の部分)。

映画のラストで事件から3年が経った後の東京で生きる人たちの顔がみんな明るかったのは印象的でした。つまり、人々の不平不満やストレス=雨なんて関係なく自分たちの生活をしているのです。
また立花宅へ行った時にお婆さんが「ここは200年前は海だった。元の形に戻っただけさ」と言っていたのは、まさに高度に発展した東京というものを否定したのだと思います。


前作『君の名は、』で商業的に大成功を収めた新海誠らは再び「青春・恋愛・東京」という三拍子で本作に臨みました。

これが成功と言えるか否かは、興行収入で測らざるを得ません。何故ならばカンヌ国際映画祭に出品するような芸術性の高い作品ではなく、あくまで前作の雰囲気を踏襲するあたりを含めて大衆娯楽作品だからです。
興行収入で成功する≠良い作品ですからね。

 

本作に関して言えば、公式HPのあらすじを読み、冒頭30分も観れば、その後の展開がどうなるのかは容易に想像できる単調な展開でした。その点で真新しさはなく、『君の名は、』のコピーと言えます。そもそも『君の名は、』がヒットした理由を考えてみると、色んな理由が挙げられますが、個人的に最も関係のあるのは「普段アニメを観ない層がタイムリープや平行世界というシナリオ上のトリック(技術)に真新しさを感じた事」だと思います。
では、本作がどうかと言うと、そういった真新しさはありません。この点は残念、というより新海誠の都会青春恋愛ファンタジーの限界点であると思います。
また、監督が「ここで感動してほしい!」、「泣かせたい!」という点を指定しているように感じました。それはまさしく数々のRADWIMPSの曲が突然流れ出すシーンです。

人を感動させるのに歌詞付きの音楽に頼っていては所詮大衆作品です(本人はそれで良いと思っているかもしれませんが)。

-了-

タピオカ狂想曲 〜踊る阿呆に見る阿呆〜

 このブログを読まれていらっしゃるナウでヤングな皆様におかれましては、巷で「タピる」という行為が流行している事はご存知であろうか。

「タピる」とは、タピオカジュースを飲む行為を指す現代語である。今年の春ごろから近場にタピオカジュースを提供する店(正確にはミルクティーを中心とした飲み物を提供し、商品のトッピングとしてタピオカを入れているに過ぎない)が乱立し、そこには若い女性を中心に日中から長蛇の列を作っている。

これはもはや現代における一般常識であるが、世の中はモノ消費からコト消費に移行している。これは例えば、昔であれば臨時収入として10万円を使用できる時にブランド物等の贅沢品を買っていたであろう物質的消費(=モノ消費)を、現代ではグランピングなどの「物質的ではなく体験する事(=コト消費)」に使用するという傾向を表した言葉である。
そして何よりもコト消費は、体験をSNSに投稿するというところまでをセットで扱う必要がある。前述のグランピングであれば、SNSに投稿する際に宿泊したホテルの名前をハッシュタグにつけることが必須である。広告費をかけて作成されたグランピングに関する記事も、「夜にキャンプファイヤーしながら焼きマシュマロを食べるのはインスタ映え間違いなし!」などと宣っている。
注意してもらいたいのだが、なにもコト消費の傾向は高額なものに限らず、500円から1000円程度のコトであってもよいのである。
それはこれから述べるタピオカジュースであっても例に漏れる事はないのだ。

さて僕は就活を終えて、あと10か月もしないうちに「日本の(典型的な)私立文系大学生」というステータスを失ってしまうので、身分相応なことをして「思い出作り」をしようと考える日々を過ごしている。何をすると思い出になるのかは分からないが、僕の周囲が嬉々として各種SNS(欲を言えばInstagram)にアップする事はソレっぽい事にあたるだろう。
僕のモットーは「賞賛するも批判するも身銭を切るべし」なので、今回も消費物としてのタピオカジュースを一度も飲まずに感情だけで批判する訳にはいかないのだ。

そういう事でマスコミに紹介されるようなタピオカジュース屋に行った。f:id:Joy_jp:20190613150837j:image(写真:訪れた店)

以前、近くの店に用があり店の前を通った時は100人を超える人が並んでいた。しかし、休日の閉店間際ということもあったのか、わずか5分程度で注文ができた。頼んだものは最も一般的なタピオカミルクティーである。ここで本当に驚いたのは、基本的にタピオカはトッピングとして追加料金を払う必要がある事だった。総額で520円くらいだったと思う。自分が並んでいる間、商品を受け取る客の様子を注意深く観察していたが、予想していた事であるが、周囲の人間は店員から商品を貰っても一向に飲もうとしない。そう、撮影タイムである。

郷に入っては郷に従え、と言うのでタピオカジュースの本来の役目である「撮られる」という本懐を果たしてもらうために、我々消費者はタピオカ様の前にひれ伏した。もちろん、僕も例に漏れることなく写真を撮らせていただいた。どんな写真でも良い。写真を撮り、それをSNSにアップしなければならないのである。そして、周囲の人間はSNSにアップされた写真を無批判に「いいね」する事が期待されている。「いいね」しない事はタピオカ侮辱罪で5年以下の懲役又は30万円以下の罰金刑に処せられるので注意願いたい。f:id:Joy_jp:20190613151014j:image(写真:前科持ちになりたくないので愚かな行為だと思いながらも渋々写真を撮った)

私はこの飲み物を「飲む」という行為は、もはや要請されていないと言っても過言ではないと考える。この飲み物は栄養的に消費される事なく(皮肉にも、この類の飲み物には栄養素が全くと言ってよいほど入っていない)、写真を撮影し、SNSにアップし、「いいね」を稼ぐ事で承認欲求を満たす為の道具にすぎないのだ。ここまで具体的な批判をしたのは今回が初めてであるが、日頃から様々な事を話す友人に上記のような意見を述べたところ「それ(=タピオカジュース)を飲みに行くことを口実に友人と出かけて、いろいろと話をするという事が出来れば良いのではないか」と返された。なるほど。友人と語らうことは自身の精神を安定させるためにも大切な事である。これからの梅雨を超えれば夏本番の暑さになるが、店先(大体、こういう類の店は大通りに面した1階部分に出店しており、「行列が行列を呼ぶ」状態にしてある)の路上で数十分から数時間かけて並ぶ時間も友人とであればあっという間なのだろう。それであれば長時間に渡り外に並ぶことによって身体の水分が抜けて喉が渇いているだろうから、ぜひとも店員に商品を渡されたら即一気飲みをしてもらいたいものである。そして、「あっ、飲み終わっちゃった!」などと言いながら、空になったボトルの写真を撮り、SNSにアップしてもらいたいものである。これで友人と語らうという主たる目的を達成できるのだ。あぁ、神様、仏様、タピオカ様。

f:id:Joy_jp:20190613150348j:imageポプテピピック セカンドシーズン【1】』においても大川氏は世の中の”サブカルクソ女(原文ママ)”に対する凄まじい批判をしている。

あまりにも愚かなタピオカ狂騒曲に世間が酔いしれているので、つい独り勝手に熱くなってしまった。
さて、タピオカジュースに関して本当に冷静に考えてほしい。これに限らずとも「友人との思い出づくりの為」、「SNSに投稿して承認欲求を満たす為」、「自分と他者との繋がりを保つ為」に生み出され消費される食べ物があって良いのだろうか。僕は、「食べ物を粗末に扱うな」という美徳だけは日本で生まれ育った人が共通して持つ価値観だと思っていた。しかしながら、どうやらこの価値観は時代とともに無くなりつつあるようだ。「食べ物を食べること」そのものから精神の充足を図るのは大層結構な事であるが、「食べ物を利用」して精神の充足を得ようとするのは間違いな気がしてならない。

彼らがこの類の食べ物を摂るのは決して糖分不足だからではなく、承認欲求不足だからなのだ。そして、この愚かな拡大再生産が続く限り、我々は決して満たされない慢性的な「空腹感」を感じながら生きていく事になるのである。

東京03

月曜日は朝から電話が鳴り続いた。

僕の携帯に電話をしてくる人は限られているし、大体の人がLINE電話を使うので着信画面で誰が電話をしているのか分かるのだが、先日の電話はどれも登録されていない番号で03から始まる番号である。


まず朝8:30に電話がかかってきた。この時期なので、普段であれば取ることもない03から始まる固定電話も3コール以内で取るようにしている。まさか、ここでバイトの経験が活かされるとは。それにしても9時前に電話をしてくるとは驚いた。確かにその企業の始業時刻は8:30であるのだが、その一方で「余程のことが無い限り、電話をするときは9時以降」と周りの大人から言われてきたので、どちらが正しいのかと少し考えてしまった。実はこの企業の面接は少々大変だった。まず持ち物である履歴書を持ってくるのを忘れたのである。これだけでも(僕の中では割と)焦るのに、今まで非常に温和な雰囲気を醸し出していた人事の方が、まるで検察官にでもなったのかと思うような厳しい口調で面接をしたのである。これには面を食らった。ストレス耐性を見ているのかもしれないが、あそこまでやられると内定者が怯えて逃げてしまいそうである。肝心の電話の内容は、一次通過の連絡であった。なお、口調は柔らかいものに戻っていた。

こんな電話を寝起き5秒で対応したので、すっかり頭は覚醒してしまった。暖かいベッドの中でスマホを弄っていたところ、今度は8時59分に着信があった(僕が出た瞬間に9時になったので、始業ピッタリに電話をした事になる)。これも市外局番は03。電話に出ると聞き覚えのない明るい女性の声がスピーカー越しに聞こえてきた。お久しぶりですと挨拶をされて、ようやく昨年夏にお世話になったインターン先であることに気がついた。電話越しに面接日を設定した。ここの面接は驚く事に2時間を超える時間が設けられていた。僕が今まで受けてきた面接や周りの知り合いから聞いた話だと、大抵の面接は20〜30分で終わるものだ。長くても1時間程度なのだが、これの2倍となると一体全体何をさせられるのだろうか。加えて、面接相手は日本人ではないらしい。Give me a break!

 

すると今度は11時くらいに、また知らない03から始まる番号から着信があった。実は、この企業からの電話を朝からずっと待っていた。先週、この企業の選考フローで小論文を与えられたのだが、これが信じられないほど綺麗に書けたのだ。正直、これで落とされたら不満はないと思えるほどだった。全てを終え、人事の方と別れて無人のエレベーターに乗ったところで、WBC優勝時のイチローのように「あざっす」と呟いてしまった。

f:id:Joy_jp:20190326135152j:image

ちなみにエレベーター内はノイズキャンセラー(ファジー効果)が作動しているので、どれだけ大声で叫んでも外から聞かれることはない。裏を返せば、閉じ込められても大声出すのは無駄という事だ。緊急ボタンを押してゆっくりと待つしかない。

 

「物事を端的に伝える」技術は訓練すれば直ぐに手に入るものだが、「意味のある文量を膨らます」のは前者よりも難しいと思っている。その点で、小論文の一件もあり、このブログを徒然なるままに書いていてよかったと思った。読者の皆様は、僕のブログの新しい投稿がある度に「なんでいつもこんなに長いのだ」と思うかもしれないが、そう思っているのは僕も同じである。意味なく長くしている訳ではないし、それなりに気をつけて書いているので読んでいて苦痛になる事は無いと思う。2ヶ月ぶりに会ったカウンセラーに、ブログを書いていることを話した上で、一つの投稿の文量が多いことを話したら割と引いていた。

「期末レポートでも書いているの?」

ごもっともである。

f:id:Joy_jp:20190326163949j:image

曇った日に高層ビルを見上げると、一瞬世界から色が失われたのではないかと思うことがある。

 

大学生の恋愛と就活の意外な共通点

 就職活動を始めてみると、毎日があっという間に過ぎて行く。1年後には恐らくどこかしらの会社に所属して、月曜から金曜までの間を働くことになるのだろう。そして毎月20万円近くが銀行に払い込まれ、そこから家賃・光熱費・食費・奨学金の返済などを行わなければならない。手元に残るお金の幾らかは蓄えるとなると、果たして僕は幾らの可処分所得を残せるのだろうか。いわゆる固定費を抑制するには会社の制度を可能な限り使って家賃補助等を貰うことになるだろう。彼女が都心で働いているので同居するというのも安く住む方法として十分に考えられる。

そういえば、つい先日Twitter上で「結婚前提の交際でなければ、その関係性はセフレである」という呟きをした人がいた。つまり交際相手と結婚をしない、もしくは様々な事情で結婚をせずとも長きに渡り共同生活をするつもりが無ければ、その関係性の中に求める行為は性欲の発散=セックスであると主張しているのだ。
非常に鋭い着眼点である。僕は昔から(少なくとも高校生の時から)、前述のような価値観を持って性的対象である女性と接していた。交際をして2年も経つと友人などから「長いね。このまま結婚?」と聞かれることが多々ある。この発言からも分かるように、「日本において大学という社会に属する人間が2年間交際をする」のは体感上長いものなのである。では、周りはどうかと見回すと、そもそも友人と呼べる関係性の人が少ないのだが、やはり1年弱程度で大半が別れているように思う。(注:あくまで個人の感想であり、客観性のあるデータに基づくものでは無い)
ある女性が交際相手との関係性が一定期間以上続かないと話してくれた時に、僕はその原因が何なのか気になり、彼女を構成する価値観を根掘り葉掘り尋ねた。まず驚いたのが「交際相手と初めて会ってから交際するまでの期間が2ヶ月以内」と、とても短い期間であることが分かった。金融志望っぽい用語を使うとすると「天候・気候変動リスク」を一切考慮していない行為である。例えば6〜7月に出会い、夏季休暇が始まる頃に交際を始めたとして、二人が過ごすのは大学生の夏休み=限りなく自由に時間を使うことができて「会いたい時に逢える」環境である。そこで数ヶ月の交際を続けると、あっという間に秋学期が始まる。仮に交際相手が同じ大学であっても、やはり幾らかの生活リズムの違いがある訳で、それが理由で「会いたい時に逢いにくくなる」。交際を始めてから数か月というのはアツアツなので互いが楽しいのだろうが、その期間が終わる段々と冷めてくる。この時に逢えないという要素が加わることで、2人の関係性にcrisis(=危機)が訪れるのである。加えて、新学期になり新たな出会い(授業等)も考慮すべき問題として浮かび上がってくる。こうなると「退団」や「移籍」の可能性は更に高まっていくであろう。こうならないようにするには簡単な話、時間をかけて相手をevaluate(=評価,調査)する必要がある。最低でも半年くらいかけて、学業の繁忙期と閑散期を経験すべきではないだろうか。

次に、彼女は「もはや特定の誰かではなく『恋人』が欲しい」のである。これは所謂「恋に恋する」状態であり、愛し愛されていないと脳味噌がソワソワしてしまう病である。
その一因としてSNSの普及が挙げられるであろう。ここでは自分と仲の良い友人をフォローし、彼らの私生活が垣間見える。大学生のおよそ1/3が交際をしていると仮定すると、フォローしている人間が100人いれば30人は交際している事になる。それをSNS上にひけらかして自己承認欲求を満たそうとする人間に対して、我々閲覧する者が防御する方法は無いのだ。交際相手がおらず、かつ交際を求めている人は毎日のように「幸せそうな投稿」を見ることで、だんだんと彼らのような生活に憧れを抱く事になる。この結果、人によっては彼女のように「交際している=幸せ」となり、その逆として「交際していない=幸せでは無い」が成立してしまうのである。幸せの定義なんて人それぞれであり、比べるようなものでは無いにも関わらず、そしてこれを競うことが愚かであることは心の何処かで気づいているにも関わらず、SNS上では常に競い合われているように見える。

2つ目に関しては就活に似ているところがある。つまり、最初は特定の会社で働きたいと思っているはずなのに、周りから「内定もらった」などと聞くと段々と焦り始めて、気づいたら自分も「内定が欲しい」と言い始めるのである。自戒を込めて、このような事にならないよう励んでいきたい。

f:id:Joy_jp:20190321234742j:image

地下鉄の長い通路、果たして先にあるものは。

僕と英語の関係性

 ここ数日ブログの更新ができなかったのは現実世界が忙しかったのもあるが、基本的には筆が乗らなかった為である。僕の隣人は、ほぼ毎日ブログを更新している。どれだけ短くても続けようとするのは凄いことだと思う。僕の場合は、写真であろうと文章であろうと、いわゆる”Art”(=人の手が加わったもの)に属するものは可能な限り完璧な状態を目指したい自閉スペクトラム症気質である。完璧でない状態を他人に晒すという行為が苦手である。その結果、大学のレポートなども締め切りギリギリになることが往々にしてある(これに関しては、そもそも着手するのが遅いという外部要因もある)。

 

ところで読者の皆様においては、先程僕が用いた「気質」という言葉をどう読むかご存知だろうか。これは「かたぎ」であり、「きしつ」ではない。高校生時代に新聞に「誤用に注意」という記事があり、そこで「気質」が紹介されていた事を思い出した。僕がこの事を当時の親友に話したところ「言語というのは用いる人によって意味内容が変わるものであり、母語話者の7割以上も間違えているような言葉は、もはや誤用する7割の方が正しい」などと言われた記憶がある。僕は彼に対して強い批判をした記憶がある。仮に親友のいう事が正しいとしても、我々は変遷を知った上で一つ一つの単語を用いるべきである。新語を除く一般的に用いられる言葉において言語の持つ歴史性を無視して用いるのは言語道断である。このような主張を自習時間の大半を割いて説いた記憶がある。そんな高校時代の親友は僕の薦めで異文化コミュニケーションを学ぶ大学へ進学したが1年前に大学を中退した。理由は詳しく聞いていないし聞いたところで理解できないのでどうでも良い。

 

今回は僕が英語とどのように触れ合ってきたのかを書こうと思う。幼少期において異文化といえば、それは「英語圏の文化」を指した。NHK教育テレビで放送される『えいごであそぼ』や『セサミ・ストリート』を母親と一緒に観た記憶がある。また3〜4歳の時に英会話学校Berlitzに通っていた。記憶が正しければ先生の名前はデレックだった。どれくらい通っていたのかは覚えていないが、アルファベット・色・簡単な名詞を先生と一対一で教えてもらった筈である。当時の僕のお気に入りの英単語は”Blue Shing-kang-seng(青い新幹線=ゼロ系)”と”Sharpner (鉛筆削り)”だった。現代の教育法においては、幼少期に週に1時間程度の英語に触れる機会があってもバイリンガルにはなれない事は明らかになっているが当時はどうだったのだろうか。

小学校に上がると、今度は公文で英語を学び始めた。今振り返ると、果たしてこれが良い効果をもたらしたのかは些か疑問である。公文式は延々と続く反復学習によって学力を鍛えようとするものである。算数・数学に関しては効果を発揮すると思うが、英語に関してはどうなのだろうか。少しでも頭の良い子であれば直ぐに「いま自分がやっている範囲では一体何を延々と書かせるための教材であるのか」に気づくと思う。このパターンに気づくことができれば、あとは頭を使わずに手をロボットのように動かしてプリントの空所を埋める作業でしかない。よって僕は英語を外国語として学ぶにあたって欠かせない文法という概念を学ぶ事が出来なかった。ただ頭の中にフワフワとパターンが浮いているだけだった。それでも気づいたら小学生の間に高校教材まで進み、どこかの大きなホテルで表彰された。今思えば、完全に親の自己満足である。アイデンティティが確立するまでの間の習い事など全て育てる人間のエゴとイデオロギーに満ち溢れたものである。

中学に入ると謎の病に身体を侵されていった。授業出席率が下がるのに比例して、学校の成績もどんどん悪くなった。特に酷かったのが英語だった。先生との相性がすこぶる悪く、僕は宿題さえやらなかった。そのせいで「英語」というものが嫌いになってしまった。僕の通っていた学校は中高一貫校で授業進度が速く、中学3年生になると高校教材を用いての授業が始まった。基礎が全くなっていないのに高校レベルの事をされても困る。もはや英語を諦めていた時、ニコニコ動画に海外のTV番組の字幕翻訳とネタの解説を付した動画を投稿されているのを見つけた。これがBBCの”Top Gear”である。3人の車オタク中年オヤジがクラシックカーからスーパーカー、果てはF1カーまで乗り、様々な企画をするという番組である。初めて観たのは日本を舞台にした特別企画で、日産GT-Rと新幹線のどちらで移動するのが速いのかの競うものであった。これが文字通り何度観ても面白いものであった。これを皮切りに次々とアップロードされた大量の動画を観た。何度も同じ動画を見ていると、次のセリフの字幕までも覚えることが出来た。すると自然と字幕に集中するのではなく、音(=彼らの発する文)に集中することが出来るようになった。頭の中で彼らのセリフを組み立て、そして対訳が字幕で現れる。その組み合わせを大量に覚えることで、日本語訳の文の持つ法則性が見えてきて、それが自然と頭に入っていった。ここから徐々に英語アレルギーが薄れていった。

高校生になると、通っていた個人指導(というより自由放任というのが適切である)塾で通称「尋問」と呼ばれる授業が始まった。尋問には2つの種類があり、1つはセンター入試の大問1にある文法問題に関して「なぜ残り3つの選択肢が当てはまらないのか」を塾長に説明するというものであった。ご存知の通りセンター試験は大学入学用の試験なので、高校3年間までに学ぶ全ての文法事項が多分に含まれた問題なのである。よって、僕は複数の文法が絡み合った文章から各々の文法事項を抽出し、その意味を理解する必要があった。2つ目は、西きょうじ先生の名著『ポレポレ』を日本語訳するものであった。『ポレポレ』を使ったことのない読者にも分かるように説明すると、この本は「難関国公立大学早慶を受験する高校3年生が入試直前の仕上げに時期に取り組むレベル」である。しかも、塾長は僕に出来ない理由を作らせない為に、これを『ポレポレ』である事を伏せていたのだ。僕はここで初めて「英文法」というものを真剣に学ぶことになった。というより、学ばざるを得なくなった。文法を知らない僕には苦痛であったが、その一方で塾長に対して完璧な訳と解説ができた時の達成感は非常に心地よいものだった。

そんなこんなで高校3年生の春に英検準1級を取得した。茨の道ではあったが、中学から(授業を真面目に聞いていないと解けない問題や無意味な暗記ばかりの無意味な)期末テストで赤点続きであった僕は、気がついたら「英語が得意なヒト」になっていた。それまで習熟度別クラスで下部に入れられていたのに、英検合格を報告した次の授業から最上位クラスに入れられたのは痛快であった。当時の下部クラスの教師の驚いた顔が一生忘れないだろう。そりゃそうだ、自分が作ったテストで赤点を取るような生徒がどうやって学年全体で4割にも満たない英検2級よりも格段に難しい準1級に受かるのか理解できる訳が無いのだ。

 

こうやって文章化して振り返ると、他人と比較した時に総合的な英語力を培った理由は分からなくも無い。ただ勘違いしてほしくないのは、僕は一度たりとも学校の成績のために英語を学ぼうと思ったことがないということだ。そもそも成績なんて本当にどうでも良かった。それは学校という箱庭の社会で一面的に評価される行為に過ぎず、僕は学校の成績より何倍も自己評価のほうを大切にしていた。今の自分がどういう立ち位置なのか、何に興味があり、それは将来どういう発展性があるのか。こういった事を同世代の誰よりも考えていた。他人から押し付けられて物事をやるのを極端に嫌う僕は、自分自身で必要と思えない限りはどんな脅しを受けてもやらない性格である。自由放任の塾に関しても、僕が全ての進捗を決める権利があり、先生がそれに応じて様々なことを教えくれるものであった。周りから見れば「雑談」しかしていない日もあっただろうが、これも必ず理由を持って話していたのだ。
英語に関してまとめると、自分の興味関心を深めるためには英語が必要で、これを続けていたら自然と出来るようになっただけなのだ。「好きこそものの上手なれ」とはよく言ったものである。大学に進学後家庭教師として英語を教えることになり、極度の英語アレルギーを持つ彼らの為に、如何に分かりやすく英語を教えるかに重点を置いたオリジナル教材の開発に着手した。彼らは分厚い文法書なんて読みたがらない。そんな彼らに1単元をA4で1枚にまとめたプリントを渡すことで心理障壁を徐々に下げていくことに成功した。「先生のおかげで英語が本当に好きになった」と生徒に言われ、保護者から「見違えるようになった」と言われた時の達成感は堪らないものである。

 

かくして僕は英語嫌いから英語オタクになったのであった。

f:id:Joy_jp:20190313034811j:image