5月9日の夕方、2作目の産声を聴きながら

外出自粛と言われてから何週間が過ぎただろうか。
あっという間に「命を守るStay Home週間」をも超えてしまった。会社からは5月末までは自宅研修という形が取られると言われた。念願叶って社会人になったのに、この調子では先が思いやられる。平日は業務という名の勉強時間が与えられているので一日の多くを資格勉強に費やしている。すると、あっという間に時間は過ぎて終業時刻に。

問題はここからだ。何をしようか。夕食は何を作ろうか、など考える必要がある。百合子の言いつけを守るならば、スーパーへの買い物も3日に1度程度に抑えなければならないようだが、基本的にそのとき食べたいものを食べたい性分なので結局毎日スーパーに行っている気がする。
さて、夕食も終えてそろそろやることもない。そんな事を思っていた矢先に、友人が自分で作詞作曲しているという話を聞いた。これがなかなかの出来具合で、こんな事が出来たらさぞ楽しいのだろうと思った。誰に言われたのか思い出せないが、僕が尊敬している人に「人生を豊かにしたいのであれば消費する趣味ではなく、生み出す趣味をしなさい」と言われたのを思い出した。僕はその時に既に写真を長年(と言っても10年程度)趣味としていたので、これは余程の事で嫌いにならない限りは続けようと思った。ところがこの趣味としての写真の問題点といえば、外に出ることを前提としているのだ。僕は何も知らない街に繰り出してはフラフラと歩きながら写真を撮るのが好きだ。しかし、この自粛時にそのような「軽率な」行為をすることは「社会通念上」許される行為ではないだろう。法律に基づいて処罰されるならまだしも、善人面した市民に私刑を下されるのは勘弁なので仕方なく家で過ごしている。家にいてやれる趣味なんて、本当に少ない。ましてや、生み出す趣味なんて何があるだろうか。そんな事を何周したかわからないアクションゲームで遊びながら考えていた。

そうだ、詩を書こう。そして、それを友人に渡して曲に仕上げてもらおう。僕は楽器が弾けないが、(歌)詞なら書ける筈だ。そう思って休日の夜中に突然A3の紙を広げて書き始めた。一時間くらいだろうか。詩の世界を物語にし、その要素を抽出、最後に抽象化というプロセスを経て歌詞が完成した。僅か1時間だったが、心の充実感は極めて高かった。これは続けたら面白いかもしれない。

数日後、例の友人の家で音源を収録することになった。カラオケさえロクに行かないズブの素人が歌っていいのか、という気もしたが折角の機会なので歌わせてもらうことにした。2時間くらいかかったと思うが無事に収録を終え、あとは彼のマスターアップを待つことにした。彼の家の最寄り駅に着き、僕以外の誰も乗せない電車に揺られていたところ、次の曲は主人公を女性にしようと思った。僕はひどく揺れる地下鉄の中でリュックから例のA3の紙を取り出し独りで万年筆を走らせた。結果、帰宅後すぐに詩が完成した。完成してから思ったが、そんなつもりはないのに官能的な歌詞になってしまった。いま僕は先ほどとは別の友人に作曲を頼み、そのプロセスを電話越しに聴きながら記事を書いている。普通であれば見られるはずもない曲の生まれる瞬間に立ち会えるなんて、なんて素晴らしい時間を過ごしているのだろうか。
僕はおそらく飽き性なのでいつまでに幾つの詩を書くかは分からないが、一先ず外出自粛期間に家で楽しく過ごす方法を1つ発見する事ができた。